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続きが思い浮かばないよ誰か助けてあげて。
村崎朔太郎は、芸名を朔太郎という。本当はずっと前に村崎ではなくなったので、村崎朔太郎という名前も、芸名のようなものなのだ、と彼は笑った。
八俣滝は、家族というものが判らない。母の違う兄弟が大勢いたが、各自年末年始の挨拶どきにしか集まらないし、その際も挨拶なぞしたことはなかった。唯一母が同じの妹も、随分年が離れているし、そこもまたお互い干渉しないことが暗黙の了解となっている。
そもそも滝は、家から孤立していた。昔はちやほやされていたけれど、滝が一度挫折してから、誰も滝を構わなくなった。自信の塊だった滝から自信をとって、残ったものは何もなく、唯一以前と変わらず話しかけてくれる友人が、同居を持ちかけて来てくれたおかげで、吐き気のする家に近寄らなくて済むようになった。
滝は家族が嫌いだった。気味の悪いものという認識しかなかった。そしてふっと思った。朔太郎もそうなのだろう、と。
しかし朔太郎は一度もそんな事を言わない。一日オフの日をもらえれば変装して実家に帰っていたし、バラエティ番組で家族のことを聞かれても笑って答えていた。
「父さんも母さんも、昔から夢見がちで、俺は振り回されてばっかりです」
人気司会の隣に座った彼が、何ともない顔でそう笑う。滝は朔太郎の家庭のことなぞ興味はなかったが、その時のその言葉だけは妙に覚えていた。
ある日朔太郎が、長い休みを友人に依頼していた。友人は朔太郎が勤めている芸能プロダクションの社長である。一応自分も雇われの身であるが、給料は貰ったことはない。多分自分の生活費や食費なんかが給料なのだろう。
「珍しいな」
友人、柴がそう呟いた。確かに珍しいこともある。黙って端に積まれていた広告で鶴を折っていた滝もそれに耳を傾けた。
朔太郎は笑っていた。いつもと同じ顔をして、少しばかり恥ずかしそうに。
「いやあ、その」
ちょっと、スランプみたいで。
スランプとはまた、朔太郎の口から初めて聞く言葉だ。柴はサングラスごしに朔太郎を見る。そのほぼ盲いた瞳には彼の影くらいしかうつるまい。目を伏せた柴が、まあいい、と頷いた。
柴は、朔太郎のことを大人だという。
「大人、すぎるんだ」
それが、辛い。寡黙な男がそれだけ言って、むっつりと押し黙った。鶴、奴、朝顔、兜、騙し船、鳩、沈黙の中手遊びの折り紙が山になっていく。
変なことを言う男だな、と滝は思う。朔太郎は子どもすぎるのだ。子どもすぎるから、他人の期待通りにいたがっているのだ。
村崎朔太郎は、頑なに村崎朔太郎だった。村崎は、父方の姓である。両親が離婚したとき朔太郎は母親に引き取られたから、もう既に村崎ではなかった。
母に引き取られたというよりか、自分が母を引き取ったのだろう。朔太郎は思う。母が村崎でいたがったから、自分もそれに合わせていただけだった。
その母がいなくなったから、朔太郎は村崎ですらなくなった。芸名しか残らなかった。母がいたがった家は売り払って、小さくて古いアパートの一室を借りることにした。だけど殆ど帰ってはいない。酒を飲んで管を巻いた滝を柴の家に送ったとき、そのまま一緒に夜を明かすことがしょっちゅうだった。
一月ほど、仕事を休むのは初めてだった。社長は太っ腹だなぁ、なんて思いながら空を仰ぐ。自然、ため息がこぼれた。
朔太郎は、昔村崎であった頃にバスケ少年だった。きっかけは父がバスケットボールを買ってきてくれたことだったと記憶している。実を言うと朔太郎は、父親がどんな顔だったかもう覚えていなかった。どんな声をしていたのかも、どうしてバスケットボールを買ってきてくれたのかも、もう忘れてしまった。
子供のころ毎日日が暮れるまで練習した公園にふらりと寄って、昔よりもおんぼろになったゴールを見つけて微笑んだ。昔は何時も、此処で練習していたのだ。汚れたベンチに腰掛けて、ネットが朽ちてリングだけになったゴールを見上げる。
「なあ」
俺は昔、どんな顔をして君を見上げていたんだっけ。朔太郎は声に出さずそう問うた。
朔太郎の母親が亡くなったのは、一週間ほど前だった。精神を病んでいた母は、自ら包丁で喉をさして絶命した。朔太郎は、それを見ていた。見る間に真っ赤に染まるフローリングに、靴下が赤く染まって、飛び散った赤い滴でスーツが汚れた。それをただ、呆然と見ていた。
幸か不幸か、朔太郎には判別が出来なかったがその包丁から朔太郎の指紋は検出されなかったから、母の自殺は疑われなかった。精神を病んで、何度も自殺未遂をしていた母だったから、自分を疑う理由もなかったのかもしれない。
そんな母だったが、朔太郎はそれでも母が好きだった。慕う以外に朔太郎は、出来なかった。だから耐えていた。
ただ耐えて、期待した。母が、元に戻ってくれることを。いつの間にかその期待は、だんだんと小さくなって、最後には自分を見てくれるだけでいい、になったのだけれど、それすら叶えられはしなかった。
病んだ母は、母であることを放棄した。朔太郎を、母を置いていった父だと思い、永遠に続く新婚生活を演じた。息子なぞ初めからいなかったのだ、夫と二人で暮らし、幸せな時代ばかり繰り返す。
それはまるでお芝居だった。だって朔太郎には、そんな時代の父の記憶なぞあるわけもない。母の描いた通りの父でなければ母は逆行し暴れ、泣き叫び自身に傷をつけ喚いた。
舞台監督も、主演も、演出も全て母で、自分はただその役を演じればいいだけだった。それで母が、少しでも落ち着いてくれているのなら、それでも良かった。例え自分を一度も見てくれなくても、それで、良かった。
よかった、そう思い続けていた。思いこもうとした。だけどやっぱり思えなくて、朔太郎は、母が死んだその日に、ついに役者であれなくなった。
おかあさん、そう呟いた。父の着ていたスーツではなくて、四角い眼鏡もかけないで、声も、低くなんかしないで、家に帰ったのだ。
母は笑ってくれた。笑って、お帰りなさいと言ってくれた。
「おかえりなさい、 あなた 」
だけど母が待っていたのは、朔太郎じゃなかった。
「違う、母さん、母さん、俺は、俺は」
「どうしたのあなた、いつもと、違うじゃない」
母は許してくれなかった。舞台から下ろしてはくれなかった。役者ではない自分を見てくれはしなかった。
どうすればよかったのだろうか。終わらない舞台を、それでも演じれば良かったのか。
朔太郎には出来なかった。自分を抱きしめる母を引きはがして、声を限りに叫んだ。朔太郎だと、自分は父ではないのだと。
だから母は死んでしまった。自分を認めては、くれなかった。
ゴールをずっと眺めていたら、あっというまに日が暮れた。時間がすぎるのが嫌に早くて、朔太郎は苦笑する。
「なあ俺、どうしよう」
夢中になっていたバスケも、今となっては何も心が動かない。何でも良かった。何でもいいから、自分の心が揺れ動いてほしかった。
どんなのが、楽しいんだったっけ。どんなのが、悲しいんだったっけ。錆びたゴールは、何も教えてはくれなかった。
次の日朔太郎は、昔好きだった漫画を漫画喫茶で読んでみた。昔はわくわくしたはずなのに、義務的に読み流して、最終巻を読み終わると疲れてしまった。漫画喫茶を後にして、昔好きだったアイスバーを買って食べてみたけれど、冷たいだけで何の味もしなかった。
どこかに置いてきてしまった。朔太郎はぼんやりとけたアイスを見て思う。
自分は昔、この世の全てのことが楽しかった、はずだった。バスケが大好きだったし、やめなくちゃいけなくなったときは今度は演劇を楽しもうと楽しんでいたはずだった。
しかし多分、それは自分が思い込んでいただけだったんだろう。楽しい楽しいと言い聞かせていくうちに、心がだんだん擦り切れて、何にも感じなくなってしまった。
ぼうっと眺めていたアイスが、ぼとりと地面に落ちてしまった。残った棒をダストボックスに押し込んで、朔太郎はまた歩き出した。今度はなにが好きだったっけ、思い出しながらふらふらと。
だけど結局、自分の好きだったものは、結局好きだった、もので、今は随分、色あせてしまって、自分の心を一つも動かしてはくれなかった。
- ・ ・ ・ ・ ・ -
村崎朔太郎は反抗期と思春期とモラトリアムの期間が全て訪れなかった子どもだと、北里柴は思っていた。
初対面は、彼がまだあまり大きくはない劇団で舞台俳優を演じていたころだ。団長と知己であったから、素晴らしい才能を持った子がいるのだと薦められた。彼の眼は私のそれとは違いとても確かであったからその子に会いに行ったのだ。
その劇団との親交は浅くない。お陰で彼らが拠点としている劇座でどこかしらにぶつかることはほとんどなかった。
私は杖も持たず、ただゆっくり歩いていただけだ。なんら健常者とかわらない私の手を、不意に誰かが握った。
「すみません」
その言葉のあと、握られた手で自身が呼ばれたのだと気付いた。振り返っても白く濁った世界にぼんやりとした人影が見えるだけだったが、手をひかれたお陰で声をかけてきた人間の場所はよくわかる。
「北里さん、団長ならこちらです」
女性の声だ。この声は受付を良くする裏方の女性のそれだった。
「すまない」
短くそういうと、彼女が優しく手を引いた。ふと、握られた手に違和を感じる。あの女性の手にしては、随分と大きい。
「……」
足を止めると、彼女であろう人影が首をかしげるのが判った。
「北里さん」
「君は」
「……ばれちゃいました?」
がらりと声が変わる。悪戯っぽい少年の声だ。彼がそっと、私の手を頬に当てる。顔に触れ、輪郭をなぞった。見たことのない、少年の顔だ。
「……君が村崎、」
「朔太郎です」
彼の頬が緩む。下がった目尻を撫でるとくすぐったそうだった。
あまり特徴のないのに、どうして私が判ったのかと問うたとき、彼は笑ってこう言った。
『知らない人を見ると、観察する癖がついてるんです』
ずいぶんと演劇に入れ込んでいる少年だと、その時は思った。
後に、うちの事務所に正式に雇用した。友人の滝に名目でもマネージャーについてもらったが、滝は露骨に嫌な声をあげた。朔太郎は気にしないようで、随分売れるようになってからもマネージャーは滝でいいと笑っている。
滝は呟いた。あいつは莫迦だな、と。私はとても賢い子だと思っていたから、不思議で首を傾いだ。私の知らないうちに、何か聞いたのかもしれない。滝はその後呟いた。神様はいないんだ、と。
神様。私にとっての神様は、私の兄だった。滝にとっての神様は、自分自身だった。私の中にはまだ神は君臨しているが、滝の神様は彼の前から姿を消した。
神様。朔太郎にとっての神様は何なのだろう。
「柴、あいつは天照大御神のご尊顔を拝んだことがないんだとよ」
どんなに信仰したって、太陽がこっち向いてくれねえんじゃ報われねえ話だよな。懐紙を弄る音と、そんな小さなぼやきが私の耳に届いた。
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どうせなら。どうせなら、と思う。
どうせなら、本当に何も感じなくなっていたら、良かったのに。
だだ甘いだけの駄菓子を買いながら、朔太郎は思う。何時も買っていた頃、店主であったおばあさんは、三年前に他界したらしい。もうすぐここもしめるのだ、とかわりに店主をしている男が笑う。
朔太郎もそれに合わせて笑った、寂しくなりますねぇ、と。
本当はさびしいなんて思っていなかったけれど、おそらくそう言ってほしいと思ったからそう言って、案の定男は少しだけ満足そうにそうですね、というのだ。
歩きながら10円そこらで買えるガムを開けたら、当たりが出て、だけどわざわざ10円位の為に店に戻るのは何だか面倒くさくて、そのまま屑かごに捨てた。
ペットショップに行ってみた。小さな子猫や子犬、ハムスターやフェレットがいたけれど、対して何の感慨もなかった。動物も、好きだったはずなんだけどなぁと苦笑してそのまま店を出た。
スキって、何だろう。
心が躍る経験、確かにあったはずなんだ。それを嘘にするわけには、いかないんだ。
それが嘘だったら、俺は本当に、ただのうそつきになってしまう。
俄かに日が陰りだした。ぼんやりと歩いていた俺は、何気なく立ち止まって空を見上げる。
灰色の雲が、俺の視界を覆う。ぽつりと、冷たい何かが頬を打った。それを拭っても、今度は額に何かが落ちる。
ぽつぽつと、次第にその数を増していく滴が、まるで止め処なく溢れる涙のようで、うらやましくて、ずっと眺めてしまう。
雨は嫌いだったよ。外に出られなくなるから。
バスケもできないし、友達とも遊べなくなるし、家は、退屈だったし。
今は、そうでもない。あの家に籠っていなければいけないんだったら、とても嫌だったかもしれないけれど、もうどうでもよい。
雨が降ると、まるで蜘蛛の子を散らしたように通りには人がいなくなった。傘の集団が、自分だけの空間を有して歩いている。傘を忘れた人は、ずぶぬれになってこの雨の中を走ったり、店先に立ちつくしたりしていた。
ぼんやりと歩く。ぐしゅぐしゅになった靴が歩くたびに音をたてたり、服が肌に張り付いて、ひどく寒いような気がしたけど、気分は変わらなかった。